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生涯
1901年9月29日、ローマに生まれた。ピサの高等師範学校で学び、1922年7月に学位を得た。ゲッティンゲンのボルンのもとと、ライデンのエーレンフェストのもとで研究したあと、1926年にローマ大学の理論物理学の教授に選ばれ、小さかった研究所を育てた。
1933年から1934年にかけて、ベータ崩壊の理論を発表した。電子とニュートリノが原子核の中の1点で生まれるとする理論で、ニュートリノという名前もフェルミによる。1934年の論文では、電子のエネルギー分布の端の形がニュートリノの質量で変わることを示し、実験の分布と比べて、質量は0か、電子の質量に比べてとても小さいと結論した。
同じ1934年には、中性子を当てて放射能を作る研究を始め、1938年にノーベル物理学賞を受けた。妻のラウラがユダヤ系で、その年にイタリアで反ユダヤの政策が始まったため、授賞式のあとはアメリカのコロンビア大学へ移った。1942年12月2日、シカゴで、原子核のエネルギーを制御して取り出すことに初めて成功している。戦後はシカゴ大学の教授を務め、1954年11月28日にシカゴで没した。