生涯
パリで生まれた。生年ははっきりせず、1604年ごろとも1605年ごろともいわれる。父と兄と同じく、貨幣の鋳造や偽造の裁きを受け持つパリの貨幣法院で評定官を務めた。1634年6月7日にドーヴァーからメルセンヌへ送った手紙には、動く船のマストの上から物を落とし、その道筋を調べた実験が書かれている。
整数の計算の速さで知られた。1640年4月1日、フェルマーはメルセンヌへの手紙で、代数の助けを借りずに整数の知識をここまで深めるフレニクルの才に感嘆している。同じ年にはフェルマーと直に手紙を交わし、等比数列の約数や完全数を論じ合った。1640年10月18日付のフェルマーの手紙には、のちにフェルマーの小定理と呼ばれる性質が書かれているが、フレニクルの返事は残っていない。
1657年1月にフェルマーがヨーロッパの数学者に出した1つ目の問題には、すぐに4通りの答えを返し、翌日にはさらに6通りを返したと、ディグビーがウォリスへの手紙で伝えている。1666年、ルイ14世の命で科学アカデミーの会員になった。4×4の魔方陣880通りを並べた論文などは、没後の1693年に論集の中で出版された。『科学者伝記事典』は1675年1月17日にパリで没したとし、MacTutorは没年を1674年とする。
