J. B. S. ホールデンの肖像(JBS Haldane, circa 1914・出典: Wikimedia Commons・作者不明・Public domain)
JBS Haldane, circa 1914
出典: Wikimedia Commons・作者不明・Public domain

J. B. S. ホールデン

J. B. S. Haldane

自然選択とメンデルの遺伝を数で結んだ遺伝学者

生没年
1892–1964
地域
イングランド、インド

生涯

1892 年 11 月 5 日、イングランドのオックスフォードで生まれた。父は生理学者のジョン・スコット・ホールデンで、8 歳のころから父の実験を手伝って科学を身につけた。イートン校とオックスフォード大学ニュー・カレッジで学び、大学の学位は古典で得た。1914 年から 1919 年まで歩兵の大隊にいて、2 度負傷した。

1919 年にニュー・カレッジのフェローとなり、1922 年から 1932 年までケンブリッジ大学で生化学のリーダー(講師)を務めた。ダーウィンの進化論とメンデルの遺伝学を結びつける仕事の中心の 1 人で、1932 年に『進化の要因』を出した。1933 年、ロンドンのユニヴァーシティ・カレッジの遺伝学の教授となり、のちに生物測定学の教授となった。科学をわかりやすく説く文章を雑誌や新聞に数多く書き、広く知られた。「兄弟 2 人か、いとこ 8 人のためなら命を投げ出す」という言葉がよく引かれるが、これは教え子のジョン・メイナード・スミスが 1975 年に書いた回想が伝えるもので、本人の書いたものには見つかっていない。

1957 年にユニヴァーシティ・カレッジを退いてインドへ移り、カルカッタのインド統計研究所に加わった。1961 年にインドの市民となり、オディシャ州ブバネーシュワルの遺伝学と生物測定学の研究所を率いた。1964 年 12 月 1 日、ブバネーシュワルで、がんのため没した。

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