生涯
アメリカの数学者。数学史の資料集MacTutor(セント・アンドルーズ大学)によると、1932年5月4日にジョージア州ディケーターで生まれた。父はメソジストの牧師で、少年時代をローマとニューヨークで過ごし、戦後にローマの高校を出てからシカゴ大学に入った。
ソイファーによると、1950年11月、18歳のネルソンは、距離がちょうど1の2点が同じ色にならないように平面を塗るには何色要るかという問いを立てた。4色は要ることにもすぐ気づいている。問いは論文にせず、1960年10月にマーティン・ガードナーが『サイエンティフィック・アメリカン』の連載で取り上げて広く知られた。今はハドヴィガー=ネルソン問題と呼ばれる。
1955年にシカゴ大学で博士論文をまとめ、プリンストン高等研究所を経て、1959年からプリンストン大学で教えた。確率論の方法を場の量子論に持ち込んだ論文で、1995年にアメリカ数学会のスティール賞を受けた。後半生は数理論理学を研究した。2014年9月10日、プリンストンで没した。
