生涯
1903年2月22日、ケンブリッジで生まれた。父アーサーはケンブリッジ大学モードリン・カレッジで数学を教えており、弟のマイケルはのちにカンタベリー大主教になった。ウィンチェスター・カレッジからケンブリッジ大学トリニティ・カレッジへ進み、1923年に数学の卒業試験で最上位の等級(ラングラー)に入った。1924年にキングス・カレッジのフェローに選ばれ、1926年から大学で数学を教えた。
1925年の「数学の基礎」で数学の基礎づけを論じたほか、確率を信念の度合いとして定めた「真理と確率」や、課税と貯蓄を扱った経済学の論文を書いた。友人の経済学者ケインズの確率の考えにも反論した。MacTutorの伝記によると、ケインズはこの反論を受けて自説を改めた。
1928年12月13日、ロンドン数学会で論文「形式論理学のある問題について」を読んだ。論理式を判定する問題の特別な場合を解く論文で、その途中で、のちにラムゼーの定理と呼ばれる組合せの定理を証明した。論文は1930年に学会誌に載った。同じ年の1月19日、黄疸の手術のあと、ロンドンで26歳で没した。
