カール・シュヴァルツシルトの肖像(Karl schwarzschild・出典: Wikimedia Commons・作者不明・Public domain)
Karl schwarzschild
出典: Wikimedia Commons・作者不明・Public domain

カール・シュヴァルツシルト

Karl Schwarzschild

アインシュタイン方程式の、点の質量のまわりの厳密な解を初めて示した

生没年
1873–1916
地域
ドイツ

生涯

1873 年 10 月 9 日、ドイツのフランクフルト・アム・マインに生まれた。シュトラスブルク大学で学び、ミュンヘン大学でフーゴー・フォン・ゼーリガーのもとで博士の学位を得た。ウィーンのクフナー天文台の助手(1896〜1899 年)を経て、1901 年からゲッティンゲン大学の教授と天文台長を務め、1909 年の終わりにポツダムの天体物理観測所の所長になった。1913 年にベルリンの科学アカデミーの会員に選ばれている。

1914 年 8 月、第一次世界大戦が始まると志願して従軍した。ベルギーで気象観測所を受け持ち、フランスでは砲兵隊で弾道を計算し、そのあとロシアの前線に送られた。その前線で、一般相対性理論の論文を 2 本書いた。1 本目は、点の質量のまわりの時空を表す、アインシュタイン方程式の初めての厳密な解で、1916 年 1 月 13 日にプロイセン科学アカデミーに提出された。MacTutor の伝記によれば、論文を受け取ったアインシュタインは、問題の厳密な解をこれほど簡単に書けるとは思っていなかった、と返事をした。この解に現れる半径 2GM/c² は、いまシュヴァルツシルト半径と呼ばれる。ロシアで皮膚の難病の天疱瘡にかかり、1916 年 3 月に戦地を離れ、5 月 11 日にポツダムで亡くなった。

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