生涯
1897 年 3 月 23 日、アイルランドのダブリンに生まれた。1915 年にダブリン大学トリニティ・カレッジに入り、1919 年に数学と実験物理学で学位を得た。カナダのトロント大学の助教授(1920〜1925 年)を経て、1925 年からトリニティ・カレッジで自然哲学(物理学)の教授を務めた。1930 年にトロント大学へ戻って応用数学の教授となり、1943 年にアメリカのオハイオ州立大学の数学科の長、そのあとピッツバーグのカーネギー工科大学の数学科の長を務めた。1948 年からはダブリン高等研究所の理論物理学部門の上級教授を務めた。1943 年に王立協会の会員に選ばれている。
相対性理論を時空の幾何として扱う書き方で知られる。MacTutor の伝記によれば、1950 年の論文でシュヴァルツシルト半径の内側を初めて詳しく調べ、1956 年の教科書で時空図を使った説明を広めた。1966 年の論文「重力の強い星からの光子の脱出」では、表面から出た光のうち無限の遠くまで逃げられるのは、真上を軸にしたある円錐の中に出た光だけで、星が小さく縮むほど円錐が細くなることを示した。光の道は逆にたどれるので、この円錐の外側は、遠くから光が届かない向き、つまり影になる。劇作家ジョン・ミリントン・シングの甥で、娘のキャスリーン・モラウェッツも数学者になった。1995 年 3 月 30 日、ダブリンで亡くなった。
