
生涯
1879 年 3 月 14 日、ドイツ南部のウルムで生まれ、ミュンヘンで育った。スイスのチューリッヒ連邦工科大学で学び、1900 年に数学と物理の教員の資格を得て卒業した。大学に職は見つからなかった。1901 年にスイスの市民権を得て、1902 年からベルンの特許局で技術審査官として働いた。
特許局に勤めていた 1905 年、光がエネルギーの小さな粒(光量子)としてふるまうという論文、特殊相対性理論の論文、質量とエネルギーの関係を示す論文などを次々に出した。同じ年、分子の大きさを求める博士論文をチューリッヒ大学に出した。1909 年に特許局を辞め、チューリッヒ大学の准教授になった。1915 年の暮れ、重力を時空の曲がりとして説明する一般相対性理論の決定版を発表した。
1921 年のノーベル物理学賞を受けた。授賞の理由は、理論物理学への貢献、とくに光電効果の法則の発見で、相対性理論は挙げられていない。1932 年 12 月にドイツを離れてアメリカへ向かった。翌月ナチスが政権を握り、ドイツには二度と戻らなかった。1933 年、新しくできたプリンストン高等研究所の終身所員として、アメリカに移り住んだ。1955 年 4 月 18 日、ニュージャージー州プリンストンで没した。