
出典: Wikimedia Commons・Christoph Bernhard Francke・Public domain
生涯
1646 年 7 月 1 日、ライプツィヒで生まれた。14 歳でライプツィヒ大学に入り、1663 年に学士となった。ライプツィヒでは法学の博士号を認められず、1667 年 2 月にアルトドルフ大学で博士号を得た。マインツの宮廷に仕えたのち、1672 年から 1676 年までパリに滞在した。ホイヘンスに数学と物理学を学び、この間に微積分の基本の考えを作り上げた。∫ の記号も、1675 年のパリでのノートに初めて現れる。
1673 年にはロンドンを訪れ、作りかけの計算機を王立協会で見せ、同じ年の 4 月 9 日に会員に選ばれた。1676 年からはハノーファー公に仕え、図書館長と宮廷顧問官として、旅の多い生涯の拠点をそこに置いた。
1684 年、ライプツィヒの『学術紀要』に微分の論文を、1686 年に積分の記号を使った論文を載せた。1700 年、ブランデンブルクの科学協会(のちのベルリン科学アカデミー)の創設にかかわり、初代の会長になった。哲学・法学・歴史・言語の研究でも多くの仕事を残した。晩年はニュートンとの微積分の先取権争いに巻き込まれた。1716 年 11 月 14 日、ハノーファーで没した。
出典
- MacTutor History of Mathematics: Gottfried Wilhelm von Leibniz
- A. Rupert Hall, Philosophers at War: The Quarrel between Newton and Leibniz (Cambridge University Press, 1980)
- Christoph Bernhard Francke, Bildnis Gottfried Wilhelm Leibniz (um 1695), Herzog Anton Ulrich-Museum Braunschweig