レオンハルト・オイラーの肖像(Leonhard Euler (1707-1783)・出典: Wikimedia Commons・Jakob Emanuel Handmann・Public domain)
Leonhard Euler (1707-1783)
出典: Wikimedia Commons・Jakob Emanuel Handmann・Public domain

レオンハルト・オイラー

Leonhard Euler

解析学を軸に数学のほぼ全分野に業績を残し、e や i の記号を広めた

生没年
1707–1783
地域
スイス、ロシア、プロイセン

生涯

1707 年 4 月 15 日、スイスのバーゼルで牧師の家に生まれ、近くのリーエンで育った。1720 年にバーゼル大学に入った。初めは神学などを学んだが、ヨハン・ベルヌーイの指導を受けて数学に進んだ。

1727 年、20 歳でロシアのサンクトペテルブルクの科学アカデミーに招かれ、1733 年に数学の教授になった。1738 年、重いはれものがもとで右目の視力を失った。1741 年、プロイセンのフリードリヒ 2 世に招かれてベルリンへ移り、25 年をそこで過ごした。1766 年、エカチェリーナ 2 世の招きでペテルブルクに戻った。1771 年、白内障の手術がうまくいかず、残る左目もほとんど見えなくなった。同じ年に家が火事で焼けたが、本人は助け出され、数学の手稿も守られた。

目が見えなくなってからも、息子や助手の手を借りて仕事を続けた。著作のおよそ半分は、ペテルブルクに戻ってからのものである。1910 年と 1913 年にスウェーデンの数学者エネストレムがまとめた目録には、本・論文・手紙など 866 点が番号つきで並ぶ。解析学・数論・力学・天文学・光学のほか、グラフ理論の始まりとなるケーニヒスベルクの橋の論文も書いた。1783 年 9 月 18 日、ペテルブルクで没した。

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