エジプト帰りの知事
1798 年、30 歳のジョゼフ・フーリエは、ナポレオンのエジプト遠征に学者の 1 人として加わった。カイロに作られたエジプト学士院で書記を務め、遠征の学術調査をまとめる役を負った。同じ年の 8 月、ネルソンの艦隊がアブキール湾でフランス艦隊を壊滅させ、遠征軍はエジプトに取り残される。フーリエがフランスに戻ったのは 1801 年である。
帰国の翌年、ナポレオンは彼を、アルプスのふもとのイゼール県の知事に任じた。県庁のあるグルノーブルで、フーリエは沼地の干拓やイタリアへ抜ける道路の建設を進めた。遠征の成果をまとめた大著『エジプト誌』の序文を書いたのもこの人である。そして、仕事の合間に、熱が固体の中をどう伝わるかを調べた。
1807 年 12 月 21 日、フーリエは論文「固体の中の熱の伝わり方について」をパリの学士院で読んだ。審査の委員はラグランジュ、ラプラス、モンジュ、ラクロワである。ラグランジュとラプラスは、どんな関数でも三角関数の級数で表せるという主張を認めなかった。角のある形や、値が飛ぶ形を、なめらかな sin と cos の和で表せるとは信じられなかったのである。論文は出版されなかった。
学士院は 1811 年の懸賞の題に熱の伝わり方を選び、フーリエは論文を出し直して賞を得た。それでも審査報告は「一般性と、さらには厳密さの点で、まだ物足りない」と書いた。理論が『熱の解析的理論』として本になったのは 1822 年である。
晩年のフーリエは、夏でも部屋を暖め、厚着をしていたと伝えられる。エジプトの暑さに慣れたせいだと語る人もいたが、確かなことは分からない。1830 年 5 月 16 日、パリで亡くなった。
起源
三角関数の和で形を表す考えは、弦の振動の研究から生まれた。1747 年にダランベールが弦の振動の方程式を立て、1753 年にダニエル・ベルヌーイが、弦の動きはどれも基本の振動とその整数倍の振動(弦の振動と音の高さ)の重ね合わせで書ける、と主張した。オイラーとダランベールはこれに反対し、論争は決着しなかった。
フーリエは熱の問題で同じ形に出会った。細い棒や板の中の温度は、場所の sin・cos と、時間とともに減る指数関数の積の和で書ける。初めの温度の分布を三角関数の和に分けられれば、あとは項ごとに時間を進めればよい。フーリエはそのための係数の求め方を示し、どんな形にも使えると主張した。
主張を厳密にしたのはドイツのディリクレである。1829 年、関数が区間の中で有限個の山と谷、有限個の飛びしか持たなければ、級数は連続な点では関数の値に、飛びの点では左右の値の平均に収束することを証明した。リーマンは 1854 年、どんな関数なら三角級数で表せるかを考える中で、積分の定義を作り直した。カントールが無限集合の研究を始めたきっかけも、三角級数の表し方がただ 1 つに決まるかという問題だった。
1898 年、アメリカの物理学者マイケルソンは、80 個の項を足し合わせる機械を作った。同じころ『ネイチャー』誌で、矩形波などの級数の収束をめぐる手紙のやりとりがあり、ギブズも加わった。ギブズは 1899 年の手紙で、飛びの手前で部分和がはみ出し、項を増やしてもその高さが減らないことを書いた。このはみ出しは、のちにギブズ現象と呼ばれるようになった。マイケルソンの機械がこのはみ出しを描き、故障と疑われた、という話がよく語られる。だが機械の図は、はみ出しをはっきり示すほど精しくなかった。実は 1848 年に、イギリスのウィルブラハムが同じことを書いていた。
証明
区間 で、係数の求め方を導き、それを使って矩形波を展開する。項ごとに積分してよいことは、ディリクレの定理などで保証されるものとして認める。
-
積和の公式から、 の 2 つの sin の積は、全区間で積分すると になる。 なら になる。
-
同じように、sin と cos の積はいつも 、cos どうしの積は sin どうしと同じになる。異なる周波数の波は、積分で互いに打ち消し合う。
-
級数の両辺に を掛けて積分すると、 の項だけが残る。
-
矩形波 、 は奇関数なので 。 を計算する。
-
よって、矩形波は奇数の周波数だけでできている。
-
を入れると は と並び、円周率の級数が出る。
最後の式は、テイラー展開の記事に出てくるマーダヴァ、グレゴリー、ライプニッツの級数と同じものである。
応用
音色。 ピアノとフルートで同じ「ラ」(440 Hz)を鳴らしても、音色は違う。どちらも 440 Hz の上に 880 Hz・1320 Hz…と整数倍の音が重なっていて、その混ざり具合が違うからである。音をフーリエ級数に分けると、どの倍音がどれだけ強いかが数字で分かる。
JPEG と MP3。 JPEG は画像を 8 × 8 画素の区画に分け、フーリエ級数の仲間の離散コサイン変換で周波数ごとの成分にする。人の目は細かい模様の差に鈍いので、高い周波数の成分を粗く丸めてデータを減らす。MP3 や AAC も、音を周波数の成分に分けてから、聞こえにくい成分を削る。
行き過ぎは 9 % で止まる。 矩形波を有限個の項で近似すると、角の手前で約 まで行き過ぎる。飛びの大きさ に対して約 9 % である。項を 1000 個にしても、行き過ぎる場所が角に寄るだけで、高さは変わらない。
熱が冷める順番。 棒の温度の 番目の成分は、時間とともに の速さで消える。3 番目の成分は 1 番目の 9 倍の速さで消えるので、細かいむらはすぐに消え、なめらかな形だけが最後まで残る。
図示
周波数 1 の波だけでは、矩形波の大まかな上下しか出ない。周波数 3 の波が山を平らにし、周波数 5 の波が角を立てる。足す波の振幅は の割合で小さくなる。
シミュレーション
左の円は、半径が係数の大きさ、回る速さが周波数の、回転する矢印の列である。先端の高さが右へ流れて波を描く。項の数 が 1 つずつ増え、新しい円が加わるたびに、波が破線の形に近づく。矩形波では、項を増やしても角の手前の行き過ぎが残る(ギブズ現象)。
広がる学問
- 物理学 フーリエが解いた熱の方程式のほか、振動する膜、電磁波、量子力学の波動関数も、固有の振動の重ね合わせとして扱う。
- 工学 交流の回路やモーターの設計では、ひずんだ電流を基本波と高調波に分け、それぞれの影響を計算する。周波数ごとの応答を見る方法は、制御工学の基本でもある。
- 情報科学 高速フーリエ変換(FFT)は、 個のデータの周波数成分を 程度の手間で求める。画像・音声の圧縮、通信の変調、大きな数の掛け算にまで使われる。
- 音楽 シンセサイザーは、倍音の強さを変えて音色を作る。録音した音のスペクトルを見れば、楽器の違いや声の特徴が分かる。
- 地球科学 潮の満ち引きは、月と太陽による周期の違う波の重ね合わせである。ケルヴィン卿は 1872 年、成分の波を歯車と滑車で足し合わせる潮汐予報機を作った。いまの潮汐表も、同じ考えで成分ごとに計算する。
参考文献
- Joseph Fourier, Théorie analytique de la chaleur (Paris, 1822).
- P. G. L. Dirichlet, "Sur la convergence des séries trigonométriques qui servent à représenter une fonction arbitraire entre des limites données", Journal für die reine und angewandte Mathematik 4 (1829), 157-169.
- J. W. Gibbs, "Fourier's Series", Nature 59 (1898), 200; 59 (1899), 606.
- Ivor Grattan-Guinness, Joseph Fourier 1768-1830 (MIT Press, 1972).
- Edwin Hewitt and Robert E. Hewitt, "The Gibbs-Wilbraham Phenomenon: An Episode in Fourier Analysis", Archive for History of Exact Sciences 21 (1979), 129-160.
- MacTutor History of Mathematics, "Joseph Fourier" (University of St Andrews).