石板の上の答え
カール・フリードリヒ・ガウスは 1777 年、ドイツのブラウンシュヴァイクに生まれた。のちに 19 世紀を代表する数学者になる人である。彼が 1855 年に亡くなった翌年、ゲッティンゲン大学の同僚だった地質学者ザルトリウス・フォン・ヴァルタースハウゼンは、追悼の伝記『ガウスの思い出』を出した。少年時代の話の多くは、この本がもとになっている。ザルトリウスは晩年のガウスと親しく、次の石板の話も、年老いたガウスが楽しそうに何度も語ったものだと書いている。
ザルトリウスによれば、ガウスは 1784 年、7 歳を過ぎて学校に入った。教師はビュットナーという人だった。2 年たって計算の組に進んだころ、ビュットナーは生徒たちに、1 つの等差数列の和を求める問題を出した。最初に解き終えた者から、石板を机の上に重ねていく決まりだった。
問題が告げられるとすぐ、ガウスは石板を机に置き、土地の言葉で「そこにあるよ」と言った。ほかの生徒たちは計算を続けた。最後に石板を裏返すと、ガウスの石板には数が 1 つだけ書かれていて、それが正しい答えだった。ほかの多くの答えは間違っていた。ビュットナーは驚き、わざわざハンブルクから新しい算術の本を取り寄せて少年に与えたという。生徒たちのペンを削る係だった若い助手バルテルスは、この少年と一緒に数学を学ぶようになった。バルテルスはのちにロシアのカザン大学の教授になり、ロバチェフスキーを教えた。ザルトリウスは、3 歳のガウスが父親の職人への賃金の計算の誤りを指摘した、という話も書いている。
ザルトリウスの本には、「1 から 100 まで」という数は出てこない。どんな数列だったかも、どう解いたかも書かれていない。アメリカの科学ライターのブライアン・ヘイズは、2006 年の記事で、8 つの言語にわたる 100 以上の版を集めて比べた。1937 年、E・T・ベルは『数学をつくった人びと』で、問題を「81297 + 81495 + 81693 + … + 100899 のような、差が一定(この例では 198)の 100 項の和」と、例として書いた。ヘイズが調べた限りで「1 から 100」が初めて現れるのは、1938 年のルートヴィヒ・ビーベルバッハの伝記で、1 と 100、2 と 99 を組にして 101 を作る解き方もそこで初めて書かれた。1966 年に出たザルトリウスの本の英訳でも、原文に無い「1 から 100 まで」が書き加えられている。先生が生徒を静かにさせるために出した、という説明も、記録には無い後の推測である。ザルトリウスの伝記に書かれているのは、9 歳ごろのガウスが、等差数列の和を誰よりも速く、しかも正しく出した、というところまでである。
起源
等差数列は、紀元前 1550 年ごろに写されたエジプトのリンド数学パピルスにすでに現れる。問題 40 は、100 個のパンを 5 人に等差数列で分け、多いほうの 3 人の合計の 7 分の 1 が少ないほうの 2 人の合計になるようにせよ、というもので、答えの公差は である。問題 64 では、大麦 10 ヘカトを 10 人に等差数列で分けている。
メソポタミアでは、セレウコス朝時代(紀元前 3〜2 世紀)のウルクの粘土板(ルーヴル美術館 AO 6484)に、 を と計算した例がある。ここに出てくる 55 は、1 から 10 までの和である。
古代ギリシアのピタゴラス学派は、小石を三角形に並べた数 1, 3, 6, 10, 15, … を三角数と呼んだと伝えられる。紀元 1〜2 世紀のニコマコスは『算術入門』の第 2 巻で、三角数や四角数などの多角数を論じている。 番目の三角数が、ちょうど 1 から までの和である。
インドのアールヤバタは、499 年に 23 歳でまとめた『アールヤバティーヤ』で、1 から までの整数の和、その 2 乗の和、3 乗の和を求める規則を書いた。8 世紀の終わりごろには、カール大帝の学問の師アルクインに帰される問題集『若者を鍛えるための問題』に、100 段のはしごの 1 段目に鳩が 1 羽、2 段目に 2 羽、…、100 段目に 100 羽いるとき、鳩は全部で何羽か、という問題がある。解答は、1 段目と 99 段目、2 段目と 98 段目を組にして 100 を作る方法で 5050 を出している。ガウスの話として語られる解き方は、ガウスより 1000 年前の本にすでにあった。
証明
ガウスの話として知られる方法で示す。
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求める和を とおく。
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同じ和を、大きいほうから並べて書く。
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2 つの式を、上下にそろった項どうしで足す。どの組も で、組は 個あるので
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両辺を 2 で割って
と のどちらかは必ず偶数なので、 はいつも 2 で割り切れ、和は整数になる。
数学的帰納法でも確かめられる。
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のとき、左辺は 1、右辺は で等しい。
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のとき正しいとすると、 までの和は となり、 のときも正しい。
図で見るなら、高さ 1, 2, …, の階段をもう 1 つ用意し、180° 回して重ねると、縦 ・横 の長方形になる(図示)。階段 1 つは、その長方形のちょうど半分である。
同じ考えで、初項 ・末項 ・項数 の等差数列の和は になる。ベルの例なら である。
応用
握手と総当たり。 人が全員と 1 回ずつ握手すると、握手の回数は になる。新しく来た人が、すでにいる人全員と握手していくと考えればよい。30 人のクラスなら 435 回である。20 チームが総当たりで戦うリーグなら組み合わせは 190 で、ホームとアウェーで 1 回ずつ戦えば 380 試合になる。
並べ替えの手間。 隣どうしを比べて入れ替えていく「バブルソート」は、 個のデータを並べるのに、最悪で 回の比較をする。1000 個なら 499500 回、データを 10 倍の 10000 個にすると約 5000 万回で、比較の回数は約 100 倍に増える。データの数の 2 乗で手間が増えることを、計算量が であるという。
時を打つ鐘。 1 時に 1 回、2 時に 2 回、…、12 時に 12 回鳴る時計は、半日で 回、1 日で 156 回鳴る。1 回ずつ数えなくても、何回鳴るかがすぐに分かる。
三角形に並べる。 ボウリングのピン 10 本は 1 + 2 + 3 + 4、ビリヤードの玉 15 個は 1 + 2 + 3 + 4 + 5 で、どちらも三角数である。缶詰を三角形に積み上げるとき、底の段の数から全体の数がすぐに分かる。
図示
小さな正方形を 1 つずつ数えるかわりに、長方形の面積を求めて半分にすればよい。段の数が 100 でも 1 万でも、手間は変わらない。
シミュレーション
つまみで を変えると、階段の写しが一度止まってから、すっと回って元の階段に重なり、横 ・縦 の長方形ができる。「握手を数える」では、1 人ずつ輪に加わり、すでにいる全員と握手の線を結ぶ。線の数は 0, 1, 3, 6, 10, … と、三角数で増えていく。
広がる学問
- 数学 2 乗の和 や 3 乗の和 へと一般化され、和を積分で近づける考えの入り口になった。無限に続く和の話はバーゼル問題や等比級数へ続く。
- 情報科学 総当たりで 2 つずつ比べる処理は 回の手間がかかる。データが増えたときにどれだけ遅くなるかを見積もる計算量の考え方の、最も身近な例である。
- 物理学 ガリレオは、静かに転がり落ちる球が、等しい時間ごとに 1 : 3 : 5 : 7 : … の距離を進むことを示した。奇数の和 から、落ちた距離は時間の 2 乗に比例する。速さが一定の割合で増えるとき、進む距離は速さのグラフの下の三角形の面積になる。
- 経済学 会計の減価償却の「級数法」では、耐用年数が 5 年なら を分母にして、1 年目に 、2 年目に と、初めのほうに多く費用を割り当てる。
参考文献
- W. Sartorius von Waltershausen, Gauss zum Gedächtniss (Leipzig: S. Hirzel, 1856), 11-13.
- Brian Hayes, "Gauss's Day of Reckoning", American Scientist 94 (2006), 200-205.
- E. T. Bell, Men of Mathematics (Simon & Schuster, 1937)(田中勇・銀林浩 訳『数学をつくった人びと』)
- Ludwig Bieberbach, Carl Friedrich Gauß: Ein deutsches Gelehrtenleben (Berlin: Keil, 1938).
- The British Museum, Rhind Mathematical Papyrus, Problems 40, 64.
- アルクイン(帰属)『若者を鍛えるための問題』(Propositiones ad acuendos juvenes)
- ガリレオ・ガリレイ『新科学対話』(1638)第 3 日